こんにちは、こんばんわ、circle Potionです。
今日はちょっと漫画もしくはアニメの話。

昨日、寝る前に『亜人ちゃんは語りたい』のアニメ版第1話を見ました。
見ていて関心を持ったのは、この作品において、「亜人」がマイノリティであることです。

ファンタジー世界に出てくる登場人物としての「亜人」もやはりマイノリティで、
人間の数に対して、圧倒的に少ない少数種族という描かれ方が通常です。
僕個人は、「亜人」を最初に意識したのは、水野良さんが書かれた『ロードス島戦記』で、
ディードリットが原風景。パーンとの関係性はとても印象に残っています。

その後、サブカルジャンルでオーソドックスになっていった「亜人」ですが、
その「亜人」が、現代社会に少数でありながらも存在したら、どんな日常を過ごしているのか、
どんな学園生活を送っているのか、というのが『亜人ちゃんは語りたい』の主な内容のようです。
冒頭から、主人公というか狂言回し的な生物学科の教師・高橋のモノローグから、
「亜人」が一般的に「個性」と認識され、社会に受け入れられている描写がありました。
原作1巻収録の第1話にはなかった描写で市役所には「亜人」の専門福祉窓口があったりして、
「亜人」には「亜人」なりの専門的な悩みと社会保障があることを、さりげなく表現していました。
また、一部で人気が出るだろうなと確信しているメガネ巨乳なサキュバスの「亜人」佐藤先生は、
サキュバスゆえに、日常生活と年頃の女性としての悩みがあり、
日々、悶々としています(性的な意味ではなく)。
ヴァンパイアのひかり、デュラハンの町などもそれぞれに悩みを抱えており、
その姿は、なんとなく「ソーシャル・マイノリティ」に共通するものだと感じました。

去年はパラリンピックで身体障害者の方が全力でスポーツを競い合う姿を見ることができました。
LGBTやGIDに関する課題や自治体の対応なども多くのメディアが取り上げました。
ジェンダーに関しては、今後も深く議論されるでしょうし、理解も高まると思います(そう願います)。
そして、去年は重度知的障害者施設で凄惨な事件が起こり、その危険な思想が問題となりました。
秋には聴覚障害者の少女と同世代の学生たちの交流、
そして少女の家族の苦悩を描いた『映画:聲の形』が公開され、
映画館での上映方式に様々な意見が飛び交いました(僕は字幕上映で良かったと思います)。
これまで声をあげにくかったソーシャル・マイノリティに対しての議論が活発化し、
理解が深まっていくことは、とても良いことであると思います。
これは「障害」だけでくくることなく、民族間も含めて考えると、考えさせられるものがありますね。
移民政策は今後、日本に必ずやってくる大きな課題です。
当然、それに反発する流れというのも悲しいかなあるわけですが。

そういった社会の流れの中で、『亜人ちゃんは語りたい』は連載され、アニメ化までされました。
ソーシャル・マイノリティを考える手引きになる面もあるのではないか、と感じます。
意図的にアニメ版はそこを強調した第1話で、僕は原作の1巻より好感を持ちました。
少し視点を変えると、ただの萌えアニメではない、と感じる作品です。
アニメのシリーズ構成を含めて、今期注目の一作。